漱石山房記念館~『門』が生まれた終焉の地~

Culture

早稲田駅を降りて、閑静な住宅街を抜け、なだらかな坂道を下っていくと、左手に、大きな近代的な建物が見えてくる。一部がガラス張りとなっており、内部に昔の日本家屋が再現されているのが外から伺える。

これは、日本文学の巨匠、夏目漱石が晩年を過ごした家屋が再現されたものである。デザイナーのコメントによると、この家屋は、場所も向きも、当時の状況を忠実に再現しているらしい。100年もの時を隔てた稀代の文豪が、まさにあの位置から、この坂道を行き交う人々を見ていたのだろうと思うと、感慨もひとしおである。初めてここを訪れた際私は、猫を撫でながら、ぽつねんと腰をかける漱石を想像し、ひとりしみじみ思ったものだった。 それを収容するこの近代的な建物が、漱石山房記念館である。復元された書斎や、本人直筆の草稿、弟子たちへの書簡など、漱石ファンにはたまらない空間になっている。またなにより、私が最も愛する『門』という作品が生まれたのもこの地である。そして現在、偶然にも、その『門』を主題とした企画展が開催中である。ついては今回は、日本で唯一、漱石研究・布教のために建てられた当館の案内を始め、『門』という作品の紹介も織り交ぜながら、書き進めていきたい。

新宿区立漱石山房記念館

新宿区立漱石山房記念館は、夏目漱石の生誕150周年を記念して東京都新宿区が開設した記念博物館である。2017年(平成29年)9月24日に開館した。

漱石は新宿区で生まれ育ち、また1916年(大正5年)の死没までの9年間を現在の新宿区早稲田南町の「漱石山房」で過ごした。「漱石山房」は漱石の弟子や知人など多くの文人が集うサロンの様相を呈していたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、戦後その敷地の半分は「漱石公園」、残る半分は区営住宅(元は都営住宅)となっていた。2011年(平成23年)、この区営住宅の立て替え・移転を機に、区では「漱石公園」の敷地と合わせてかつての「漱石山房」を再現した、日本初の本格的な漱石記念館を建設することを決定した。記念館では、漱石がこれまでに残した文学作品を多数蔵書するとともに、漱石に関連する様々な展示資料を掲示した常設展を初め、随時漱石そのもの、または漱石とのかかわりのある人物や文学についての企画展示会、講座などを展開する。

展示資料としては、「道草」「明暗」の草稿、漱石の弟子・松根東洋城に送った葉書、画家・津田青楓作の「漱石先生像の画讃」のほか、漱石の書籍の初版本の多くがある。

展示室

通常展では、①夏目漱石と新宿、②漱石の生涯、③漱石作品の世界、④漱石を取り巻く人々、⑤漱石と俳句、⑥漱石と絵画などのテーマについて、グラフィックパネルや映像でご紹介。また、漱石が暮らした「漱石山房」の一部を再現し、創作や弟子たちとの交流の場であった書斎や客間、ベランダ式回廊を体感できる。このほか、新宿区が所蔵する草稿や書簡、初版本などの資料も展示公開。

グラフィックパネルや映像などにより、漱石と新宿の関わり、漱石の生涯、人物像、漱石の家族など、漱石を知る上で基本的な情報をご紹介。

再現展示[1階](有料)

「漱石山房」の一部、書斎・客間・ベランダ式回廊を再現するとともに、この客間で毎週開かれた「木曜会」のこと、この書斎で執筆された随筆『硝子戸の中』の世界、「漱石山房」再現の取り組みなどについてご紹介。この書斎で再現した複製品等は、県立神奈川近代文学館の協力のもと、同館が所蔵する原資料をもとに製作されたものだ。また、書棚に納められた洋書は、東北大学附属図書館の協力のもと、同館の「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影し、製作された。

資料展示室[2階](有料)

グラフィックパネルや映像などにより、漱石と作品世界、漱石を取り巻く人々(52名)、漱石と俳句、漱石と絵画などについて紹介するほか、新宿区が所蔵する草稿や書簡、初版本などの資料を展示公開している。

建物・周辺のデザイン

いわゆる記念館の中の展示にとどまらず、街並み全体が記念館であるということを基本理念として、設計は進められた。建物の各部デザインは漱石との応答の中で行われ、山房上部の天井に垂れ下がる雲を模したテキスタイルには、漱石の観た早稲田の街並みから採取したフロッタージュが焼き付けられている。植栽には、漱石の小説に登場する沢山の植物が植えられている。山房再現や展示室の常設展、企画展を楽しんだ上で、それ以外にも沢山の漱石と触れられる記念館が誕生した。

フォルムデザイン一央の入江正之代表(早稲田大学名誉教授)は「山房はこの建物の要で、庭や坂道との関係が大事だと考えた。かつて漱石が目にしていたように山房から庭や坂道が見え、かつ、坂道を行き交う人の目に映る山房の姿も漱石の生前と同じようにしたかった」と話す。

前面道路の緩やかな坂は「だらだら坂」という愛称とともに漱石も親しんでいた。

周辺には、宗参寺をはじめとする漱石の生きていた時代に既にそこに存在していた場所が点在している。また、日常の風景を事細かなに観察する中で、言語によってありふれた日常を彫琢することで小説作品にまで高めた漱石の小説には、早稲田界隈をはじめ、神楽坂や江戸川橋などの風景が多く描写されている。そのようなことも含めると、記念館の周辺には漱石の沢山の痕跡を発見することができる。

通常展:『門』-夏目漱石の参禅

大正3(1914)年の春ごろから、二人の若い雲水(修行僧)と親しく交流するようになり、

禅に対する関心をいっそう深めていた矢先に漱石は亡くなった。この雲水のうちの一人は、奇しくも明治27年の参禅時に漱石が止宿した円覚寺塔頭帰源院の住職となり、漱石と交わした手紙が今に伝わっている。漱石の参禅130年を記念する本展示は、漱石が禅の指導を受けた釈宗演関係資料や漱石作品中の禅に関する記述、雲水に宛てた手紙などをもとに、

漱石と禅の関わりについてご紹介。

漱石は、明治27(1894)年の年末から翌年初めにかけて鎌倉円覚寺に参禅した。漱石作品の多くに禅味を帯びた表現が見受けられるが、この時の生活や、悟りを開けずに帰京した経験は、明治43(1910)年に東京と大阪の朝日新聞に発表された小説「門」にもっともよく反映されている。

・『門』

『門』(もん)は、夏目漱石の長編小説。1910年に「朝日新聞」に連載され、翌年1月に春陽堂より刊行された。『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。

話の流れとしては、下記である。

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宗助は、かつての親友である安井の妻である御米を得たが、その罪ゆえに、ひっそりと暮らさざるをえなかった。そのため弟小六に関する父の遺産についてもあまり関心を示さず、小六を引き取り共に暮らすことになる。しかし気苦労の多い弟との同居のためなどで、御米は寝込んでしまう。大事にはならなかったが、やがて安井の消息が届き、大家の坂井のもとを訪れることを聞く。宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、結局悟ることはできず帰宅する。すでに安井は満州に戻り、小六は坂井の書生になることが決まっていた。御米は春が来たことを喜ぶが、宗助はじきに冬になると答える。

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物語は最初から最後まで、何か重大な事件が起きるわけではない。むしろこの物語は、早い話が、親友の妻を寝取る、という大事件の後日談である。不倫は漱石文学に頻出のテーマであるが、それはやはり、当時の不倫は現代のそれと違って村を巡った一大事なのであり、渦中の人間の社会的、および心的影響度が甚大であったためであろう(誰かがこれを【徳義上の罪の内面化】と上手く表現していた)。また同時に、そうした逆境があればあるだけ、その恋慕の質は純化するわけであるから、恋愛小説としても必至なテーマだったのだ。にも拘わらずこの物語は、そんな不倫騒動の一連がひととおり済んだ、ある程度本人や周囲も落ち着きを取りも出した時点から始まる。ここに漱石文学の醍醐味がある。

映画や漫画、それこそ小説のように、実際の人生には、いつもドラマティックな展開が訪れるとは限らない。たとえ何か劇的なことが起きたにせよ、綺麗に片付くことなんてありはしない。創作物であれば、登場人物の内面処理もなされぬうちに勝手に幕を閉じることができるが、現実はそう簡単にはいかない。波乱万丈の後に大団円を迎えるような、こねくり回された人工物の如く筋書きには、なんのリアリティも教訓も見いだせない。本物の感情は常に地続きで、終止符など存在しない。だからこそ『門』の宗助は、不倫騒動のずいぶん後、とうとう出家の道を選択してしまう。押し殺していた罪悪感が、安井本人の登場の可能性が示唆されることで、解き放たれてしまうのだ。

そして上述のように、宗助は、世の法律、倫理、道徳といったものを、極度に内面化してしまっている(法律は法律、俺は俺、と割り切れていない状態)。そのような人間にとって、

宗教的な教えは、なんの救いももたらさない。だからこそ漱石は、このような「近代の病」を抱えた宗助の心情を、この小説の代名詞ともいえる下記のような名文で言い表している。

彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦すくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

上述の通りこの物語は、例の親友との鉢合わせを見事回避し、幕が閉じる。一応、ハッピーエンドを迎えた形にはなったが、無論読者は、気分爽快な読了感を得られるわけもない。「感情の地続き」をありたけ浴びせられた我々は、本を閉じた後でも、その後の宗助の、変わらぬ鬱屈した日々を想像してしまう。息苦しいほどのリアリティは、いったい人に何をもたらすのだろう。明日への教訓だろうか、まだ見ぬ実存の獲得だろうか、哲学的な探究だろうか、あるいはそれでもやはり、宗助の如く、宗教を求めてしまうのだろうか。

そうした問いの打ち返しとして、このような場があるのは幸いである。情報は下記。

【通常展:『門』-夏目漱石の参禅】

開催期間                 2024年4月25日~2024年7月7日

開催時間                 午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)

会場        漱石山房記念館 2階資料展示室

休館日    毎週月曜日(祝休日にあたるときはその翌平日)

観覧料    一般300円、小中学生100円

※団体(20名以上・要事前連絡)は個人の観覧料の半額

※小中学生は土日祝日は無料

※障害者手帳等をお持ちの方は手帳のご提示で無料(介助者1名無料)

※メンバーズ倶楽部会員の方は会員証のご提示で無料

・ギャラリートーク

5月12日(日)、6月16日(日)各日とも午後2時~2時20分

会場:漱石山房記念館 地下1階講座室

申し込み不要、無料です。直接地下1階講座室にお越しください。

★このブログのライター:Ricky★

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出典

・新宿区立漱石山房記念館

新宿区立漱石山房記念館
新宿区立漱石山房記念館の公式サイトです。夏目漱石が生まれ育ち、その生涯をとじたまち新宿区に、漱石生誕150周年にあたる平成29年9月24日、漱石にとって初の本格的記念館が開館しました。

・株式会社 和久田幸佑建築設計事務所

漱石山房記念館 | 和久田幸佑建築設計事務所

・『門』Wikipedia

門 (小説) - Wikipedia
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