三島由紀夫文学館~浮世を離れた湖の畔で、憂国の士の生涯を知ろう~

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新宿から電車を乗り継ぐこと二時間ほど。山梨県の富士山駅で降りる。その名の通り、ホームに降り立った瞬間、荘厳な富士の山が目に飛び込んでくる。観光客も多く、富士山にちなんだお土産屋、飲食店が立ち並び、辺り一帯が、日本が誇る活火山をこれでもかと宣伝している。しかし、今日のお目当ては別にある。

富士急路線バスに乗りこみ25分、市街地を離れ、森の中へ入っていく。すると左手に、突如として大きな湖が姿を現す。

筆者撮影

そうこうしているうちに、「文学の森公園前」というアナウンスとともにバスが止まり、森と湖に挟まれた道路で降りる。湖に背を向け、森の中をずんずん突き進んでいく。道は舗装されてはいるものの、辺りに建造物らしきものは無い。落ち葉を踏みしめる音のみが響く中、少々心細くなってきたところで、ようやく大きな一軒家くらいのサイズの、綺麗な建物が見えてくる。それこそが今回の目的地である、【三島由紀夫文学館】だ。

筆者撮影

三島由紀夫記念館かんたん紹介

山梨県南都留郡山中湖村平野の山中湖文学の森公園内にある文学館である。三島由紀夫唯一の文学館として、1999年(平成11年)7月3日に開館した。公的機関での三島資料の保存・利用を希望する三島の遺族の意向と、「山中湖文学の森公園」建設の構想が一致したことから、三島文学の研究と普及を基本理念として設立された。

館内には、三島由紀夫の全初版本をはじめ、直筆原稿、創作・取材ノート、肉筆資料、絵画、書簡、肖像写真、著書、研究書、翻訳書、初出誌、映画・演劇資料などが保管され、一部を展示している。映像や検索用パソコンなどによる資料写真や解説も紹介され、三島の生涯や文学を垣間見ることができる。

館内案内

  • 初版本99冊

初出版の『花ざかりの森』から、最後の『蘭陵王』までの著書(初版本)99冊と、写真入りの略年譜を展示。

三島の初版本を一堂に展示することにより、その作品の多彩さをビジュアル的に紹介している。さらに三島の略年譜も一緒に展示することにより、これらを見比べながら、三島の作品と生涯をたどることができる。

  • 10代――平岡公威から三島由紀夫へ

学習院初等科から東京帝国大学時代までの初期作品時代の肉筆資料を展示。

1925年(大正14年)に誕生した三島由紀夫の少年期は、太平洋戦争の時代と重なる。三島自身もいずれ戦争で命が無くなるものと覚悟し、生の証を残すため執筆に没頭していた。学習院の国語教師・清水文雄により、『花ざかりの森』が文学同人雑誌『文藝文化』に掲載される時に付けられた筆名「三島由紀夫」を使いはじめた頃の資料を中心に展示している。

館内には、若書きの多い三島の10代の頃の著作物が数多く保管されているが、学生時代に多くの未公開の作品群があったことは、この文学館の資料より初めて世に知られることとなった。保存されている10代の資料中には、小説のほか作文、評論、詩歌、戯曲、書簡、創作ノートなど貴重なものが含まれ、幼年時代(5歳、6歳)に描いた絵などもある。

  • 20代――プロ作家へ開花

戦後、プロ作家としての地歩を固めた20代の頃の資料(直筆原稿、創作ノート、肖像写真、著書、初出雑誌、映画ポスターなど)を展示。

川端康成の主宰する雑誌『人間』に短編(『煙草』など)を掲載させてもらった時期から、初の長編『盗賊』執筆、大蔵省辞職後、『仮面の告白』で本格的に文壇デビューを果たし、『愛の渇き』『青の時代』『禁色』を次々と発表した頃と、世界一周旅行(『アポロの杯』)以後の『潮騒』発表など、作家として有名になった時代の資料を中心に展示している。

  • 30代――広がる活動

創作活動が幅広く盛んになった30代の頃の資料(直筆原稿、創作ノート、肖像写真、舞台写真、著書、初出雑誌、映画・演劇シナリオ、プログラム、ポスターなど)を展示。

『金閣寺』『美徳のよろめき』『鏡子の家』『宴のあと』『憂国』『獣の戯れ』『美しい星』『午後の曳航』『絹と明察』などの小説、『近代能楽集』『鹿鳴館』などの戯曲を旺盛に発表していた時期の資料を中心に展示している。さらに文学以外のボディビル、ボクシング、剣道などの肉体改造、映画『からっ風野郎』主演、写真モデル(『薔薇刑』)などの活動に関する資料も展示している。

  • 40代――文武両道への挑戦

長編大作『豊饒の海』を執筆し始めた頃から自死に至るまでの40代の時期の資料を展示。

最後の長編となった『豊饒の海』4部作(『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』)、戯曲『サド侯爵夫人』『朱雀家の滅亡』『わが友ヒットラー』関連の資料、米国講演の直筆原稿、ノートやメモ、『ザ・タイムズ』紙掲載原稿など、ノーベル文学賞の候補にも挙がった頃から遺作までの資料を展示している。

三島と山中湖

三島と山中湖は特に強い縁はないが、自衛隊の体験入隊では、山中湖近辺で山地踏破訓練をしており、小説『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』『蘭陵王』『恋と別離と』『蝶々』などには山中湖が登場する。『暁の寺』創作・取材ノートでは、三島がスケッチした山中湖一帯の地図が描かれ、富士山、旧鎌倉往還(現在・国道138号線)、北富士演習場や周辺の地名が記されている。

おわりに

三島ファンとして数年間に一度訪れたきりであるが、今回のブログ執筆を機に振り返ってみると、バスの停車場の潮騒や、森林の臭い、建物の瀟洒な外壁など、あの日目に映った光景が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。森の中にひっそりと建ち、寂寥感を纏う、どこか浮世を離れたようなこの文学館の風景は、あのスキャンダラスで熱烈な最期を遂げた人物像とは、少し似つかわしくないように思える。

高台に建つ建物であるが、そこから湖は見えない。

しかし、庭園に出て、耳を澄ますと、「ザザーン…」と、さざなみのようなものが聴こえてくるような気がする。これは幻聴だろうか。憧れの作家の原本や記念品などを目にして、浪漫的気質が盛り上がっているだけなのだろうか。

そういえば、三島の遺作である『豊饒の海』にて、主人公飯沼勲が、正義心ゆえに殺人を犯し、その代償として、夜に丘の上で切腹をするシーンがある。陽は完全に落ち切っているが、純潔な行いをしたと自負する彼は、現実を超越する。まさにその、自ら刀で腹を切る瞬間のラストシーンを、三島はこう描いて締めくくった。

正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。

この文学館の庭園には、三島邸のものを模した、アポロ像が立っている。像をよく見ると、像の腹部の中央から右にかけて、あたかも三島が腹を切り裂いていったと同じような軌跡のひび割れが出来ているのがわかる。文学館スタッフによれば、設置時にはひびはなく、徐々に中央から拡がっていったという。

筆者撮影

開館時間

開館時間は、午前10時から午後4時30分(入館は午後4時まで)。

休館日は、毎週月曜日・火曜日(祝祭日の場合はその翌日)、12月29日-1月3日、資料点検日(不定期)

※ ただし、ゴールデンウィーク期間中(4月28日-5月6日)は月曜日・火曜日も開館。

入館料金

大人一般 500円(団体450円。身障者250円)

高校・大学生 300円(団体250円。身障者150円)

小学・中学生 100円(団体50円。身障者50円)

小学生以下は無料。

※ 団体は10名以上で団体割引。身障者は身障者手帳を提示すれば割引となる。

交通アクセス

・高速バス:バスタ新宿発、中央高速バスで山中湖 旭日丘下車。徒歩15分。

路線バス:富士山駅から約25分、または御殿場駅から約40分。「文学の森公園前」バス停下車徒歩5分。

・電車

JR新宿駅発、中央本線の大月駅で富士山麓電気鉄道富士急行線に乗り換え(または直通列車を利用し)富士山駅で下車、上記路線バス。

JR名古屋駅発、東海道新幹線の三島駅で下車。富士急シティバスで御殿場駅まで約50分、さらに御殿場駅から上記路線バス。

・自動車

中央自動車道から東富士五湖道路を経由し、山中湖インターチェンジから国道138号を御殿場方面へ4km。

出典

三島由紀夫文学館 公式HP

三島由紀夫文学館**Mishima Yukio Literary museum**

三島由紀夫文学館 Wikipedia

三島由紀夫文学館 - Wikipedia
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