2023年に誕生25周年を迎えましたハロー!プロジェクトさんについて書いていきます。
1998年に平家みちよ&モーニング娘。から始まりメンバー及びグループを生み出し歴史のある最強アイドル軍団だと思っています。
そこでハロー!プロジェクトメンバー及びグループについて色んな視点から注目し紹介します。
まずは、現在もメンバー編成を繰り返し進化し続けている『モーニング娘。』さんについて紹介しますが歴史が長いので、ファンの間で呼ばれいる
「黄金期」に入る前の「結成初期」の頃を自分なりに紹介いたします。
1997年にテレビ東京さんで放送されてました『ASAYAN』という番組で行われました「女性ロックボーカルオーディション」開催
受けていた女性たちの中にモーニング娘。となるメンバーはいました。
このオーディションの結果は「平家みちよ」さんに決まりました。
あれ?モーニング娘。は?と思われたと思いましたか?続きがございまして
落選した複数の女性の中から5人に声がかかり、「中澤裕子」「石黒彩」「飯田圭織」「安倍なつみ」「福田明日香」の5人でした。
デビューできると思いきやCD手売り5万枚を5日間で達成しないとデビューできないという条件が彼女たちに課せられたのでした。
テレビの企画というのもありましたが、彼女達は悔しさをバネにし挑戦することを誓いました。
1997年9月14日にモーニング娘。さんは結成そして誕生しました。
1997年11月3日インディーズシングル【愛の種】リリース
作詞 サエキけんぞう 作曲編曲 桜井鉄太郎
こちらがですね、手売り初日に大阪心斎橋にて15612枚を売り上げまして、「一店舗における同一CDの1日の売上枚数」が世界一に認定されています。
福岡、札幌、そして11月30日ナゴヤ球場にて5万枚を無事売る事ができました。
そこでメジャーデビューすることが決まり即座レコーディング、MV撮影へとスケジュールは組まれるのでした。
翌年メジャーデビューシングルのカップリング曲にもなりました。
1998年1月28日メジャーデビューシングル【モーニングコーヒー】リリース
オリコン週間チャート6位を獲得!
この作品からシャ乱Qつんくさんプロデュースすることになりました。
デビューシングルの衣装は白のニットに赤のチェックのスカートで、安倍なつみさんがセンターを務めることになり、リーダーは当時最年長だった中澤裕子さんに決まりました。
当初、飯田圭織さんがセンターと言われていましたが、レコーディングの仕上がりで安倍なつみさんの声を中心に置く流れになり、飯田圭織さんハモリ側に回るという出来事が!
この楽曲の安倍なつみさんのソロの所の「なっちコール」は今でも凄いです。現役のメンバーもその時々のメンバーのコールで歌い継がれています。
モーニング娘。さんが20周年を機に初期メンバーと当時現役メンバーとのコラボで音源化され音楽番組で当時大きな話題になりました。
その年の5月に2枚目のシングルが出るのですが、なんと『ASAYAN』にて新メンバーを募集することが発表され、メンバー及びファンに衝撃が走りました。
このオーディションで勝ち上がってメンバーになったのは
2期メンバー「保田圭」「矢口真里」「市井紗耶香」の3名でした。
保田圭さんは、オーディションに力を注いでいて、高校を中退しアルバイトしながら当時受けていましたが、仕事ぶりは社員超えの実力だったそうです。
矢口真里さんは、歌手になるのが夢で、このオーディション以外にも受けていました。
1998年5月27日【サマーナイトタウン】リリース
なんとオリコン週間チャート4位を獲得し売上枚数も前作を超えました。
この作品から音楽番組への露出が増えました。
TBS「うたばん」CX「HEYHEYHEY」NTV「速報!歌の大辞テン」など現在では番組終了してしまいましたが、とても素晴らしい思い出があります。
ここからモーニング娘。さんの快進撃が始まるのです。
MVの裏話ですが、夜の街をメンバーが横一列で歩くシーンがあるのですが、飯田圭織さんが衣装にお弁当のソースをつけてしまい、
それを手で隠し歩いているのでそちらを見つけてみてください。
1999年8月5日に中澤裕子さんが、演歌曲【カラスの女房】を「中澤ゆう子」名義でリリースしましたが、多忙すぎてMVでの記憶が消し去ってしまってたらしく、ここからマネージャーさんは中澤さんに、昨日の記憶や仕事での出来事を覚えているか?のチェックが入るようになりました。
「サマーナイトタウン」は2004年にモーニング娘。おとめ組によりセルフカバーでCD化されています。
1999年9月9日【抱いてHOLD ON ME!】をリリース
こちらの作品が平家みちよさんとモーニング娘。による主演映画のエンディングテーマになりオリコン週間チャート1位を獲得
同時リリースMAXさんJUDYANDMARYさんを抑え1位を獲得致しました。
その年のレコード大賞最優秀新人賞受賞
日本ゴールドディスク大賞、ベストヒットアーティスト(全日本有線放送大賞)、第36回ゴールデンアロー賞と受賞し年末紅白歌合戦の出場も果たしました。
こちらの楽曲で初めてラップに挑戦!
それとリリース後に歌のパフォーマンスを見た、とんねるず石橋貴明さんによる「ねぇ笑って」のフレーズの時の顔が世に渡り「ジョンソン」というあだ名がブレイクしました。
こう絶好調に進んでるように見えたモーニング娘。さんにまた新たな衝撃が走ります。
1999年2月10日【Memory青春の光】リリース
初期メンバーである福田明日香さんがグループを卒業するという出来事が、令和の時代にアイドル卒業は一般的になりましたが、平成のあの頃は初?な時代
カップリング曲に今後ハロプロ卒業ソング定番にもなった【Never Forget】福田明日香さんメインで歌唱、コーラスで他のメンバーが歌っています。こちらの楽曲はカップリング曲としては初めてメディアで披露され話題になりました。
カップリングで他にもありまして「HappyNight」という楽曲は、のちに【黄金期】の楽曲の先駆け?的な曲調になっております。
こちらCDジャケットが安倍なつみが1人前で裏面は福田明日香さんが1人前で他のメンバーがぼやけて映る。今ではOGメンバーの話のネタになっております(笑)
MVでは安倍なつみさんが沢山映っているのに対し保田圭さんはソロシーンが数秒でして「保田圭ゲーム」が一部のファンで開催。
内容はカラオケでMV使用を流し歌い、保田圭さんのソロシーンが流れるとお酒を一気に飲むという内容で、令和の現在やっている方はいらっしゃるのでしょうか??
話を戻しまして
1999年4月18日東京厚生年金会館にてツアーファイナルで卒業公演が行われ卒業されモーニング娘。は8人から7人になりました。
2004年に安倍なつみさんのファーストソロアルバムにてカバーされました。
1999年5月12日【真夏の光線】リリース
モーニング娘。さんとしては珍しく明るい楽曲でMVはサイパンで撮られ、中澤裕子さんが運転する車のシーンはとても楽しそうです。そこでも飯田圭織さんエピソードが(笑)
浜辺のシーンでメンバーが3人程で映ってるシーンや全員で歌ってるシーンがあるのですが、日射病にあってしまったらしく我慢しMVを撮り終えた仕上がりになっております。本人もクラクラするけど周りに迷惑はかけられないと思い当時は黙ってたらしいです。
CDジャケットは青色の服装ですが、音楽番組では黄色の服装で歌われる事が多かったです。
こちらの楽曲は30代半ばから後半以降のモーニング娘。を知ってる程度の方でご存知の方が以外にも多い名曲でございます。
とても夏らしく青い空太陽の日差しがイメージできる楽曲です。是非一度聞いてみてください。
1999年7月7日【ふるさと】リリース
こちらの楽曲はモーニング娘。名義ですがセンター安倍なつみさんのソロになっていて、他のメンバーはコーラスで披露しています。
MVでは各メンバーのお母さんと2人で話しているシーンが見どころで、歌詞では田舎から都会へ発った娘の気持ちが全面に出ています。
この作品は【ASAYAN】でまさかの対決企画があがり、同番組出ていた鈴木亜美さんの新曲【BE TOGETHER】と発売日が被っていたのです。
結果はモーニング娘。さん5位。
鈴木亜美さん1位という結果
負けてしまいました。売上も過去最低枚数になりピンチになった時期でもありました。
が、しかしモーニング娘。さんはここから【黄金期】という世間を揺るがした時期に入るのですが、それはまた次回紹介いたします。
モーニング娘。さんの【結成初期】の時代はいかがでしたか?もう25年も前ともなると懐かしいし、最近ハロプロ及びモーニング娘。さんを知った方には是非知って欲しいです。