北野武と聞くと、いったいどんな人物を思い浮かべるだろうか。やはり、映画監督としてのイメージが強いだろうか。それもそのはず、彼は世界三大映画祭のひとつ、ベネチア国際映画祭で、グランプリにあたいする金獅子賞を獲得した、名実ともに世界的映画監督の一人なのである。クエンティン・タランティーノも武映画ファンを公言しており、その影響度合いは国境を超えているのだ。
しかしそんな北野であるが、日本では、お笑い芸人「ビートたけし」としてのパブリッシングイメージも、同じくらい強い。そう、彼は映画を撮るずっと前は浅草の売れない漫才師(コメディアン)だったし、現在もなおテレビのバラエティ番組でお茶の間を賑やかす、れっきとしたテレビタレントでもあるのだ。
今回は、一介の日本の売れないコメディアンが、いかにして世界的な映画監督になったのか。
一体そこにはどんなドラマがあったのか。彼の半生を振り返るとともに、その激動のストーリーを見ていきたいと思う。
北野武から、ビートたけしへ
1947年1月、北野武は東京都足立区でうぶ声を上げた。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武」と命名された。
教育熱心な母親のもと良く学んだ北野は、名門明治大学に現役入学するも、そこで五月病を患い、ほとんど学校には寄り付かなかった。なんとなく学生運動に参加したり、アルバイトを転々とする毎日だった。しかし当時すでに25歳、自身も去就を模索する必要に迫られ、浅草にあるストリップ劇場の浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。そこで、同じく浅草で芸人修行をしていた後の相方兼子二郎と出会い、1972年、漫才コンビ「ツービート」を結成する。芸人ビートたけしの誕生だ。
映画人「北野武」の誕生
10年弱はなかなか目が出なかったが、1980年に漫才ブームの到来。速射砲さながらに喋りまくる北野のスタイルや、時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れる「不謹慎ネタ」は「残酷ギャグ」等と批判を受けることもあったが、彼は「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。
北野は徐々に、テレビタレントとしての頭角をも現すようになる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していったのだ。その型破りで、どこか危なっかしい芸風が世間に受け、1985年には、なんと週に8本ものバラエティ番組に出演していた。
そして、そんな人気絶頂時に、ある転機が訪れる。かの有名な、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)への出演だ。デビッドボウイや坂本龍一ら豪華な顔ぶれと共演し、一躍映画スターになった。
北野はここで、映画製作へのロマンを見出すことになる。その6年後には『その男凶暴につき』で自らメガホンをとり鮮烈な監督デビューを果たしてしまった。
そして、世界のキタノに。北野映画の魅力とは?
そこから北野は現在に至るまで、数年に一本のペースで映画を撮り続けている。これまで監督した作品は全部で19本。そのうち、先述の通り『HANABI』では世界三大映画祭ベネチア映画祭では金獅子賞を受賞しており、映画ファンで彼の映画を一本も見たことが無い人間は一人もいないだろう。(かくいう私も彼の大ファンである。一番好きなのは『ソナチネ』!)。
しかし何故、彼の映画は世界中の人々をここまで惹きつけるのだろうか。北野の映画と言えば、低予算・早回し(撮影スピードが物凄く速い)で有名であるが、そのような映画がいかにして脚光を浴びるようになったのか。その謎を考えるにはまず、北野映画の最大の特徴である、「暴力」と「キタノブルー」を避けては通れまい。
◆暴力
北野映画には、ド派手なカーアクションがあるわけでも、イケメンヒーローが超人的な力で悪を倒すシーンがあるわけでもない。ただひたすらに、冴えない中年のオヤジ同士が淡々と撃ち合ったり刺し合ったりして、皆死んでいく。しかも、ドラマチックな音楽がかかるわけじゃなく、乾いた銃声や、ナイフが空を割く音などが画面に響くだけだ。またそれでいてそれらの暴力は、きちんと“痛そう”なのが最大の特徴だ。殺人者たちは即興的に、身近な物(箸、ハサミ、歯医者のドリル、時にはバッティングセンター…)を凶器に用いて人を殺めていく。その様子が、まるでこっちまで痛くなってくるくらいリアルなのだ。案外、これが実際の暴力なのだろうか、と思えてしまうほど、痛そうで、静かで、リアルなのである。
◆キタノブルー
北野映画のビジュアル面での特徴として、画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるというものがあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれる。特に『ソナチネ』など中盤までの作品において顕著で、ヨーロッパで高い評価を得た。突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったという。
また、ブルーとは、不安、ナーバス、そうしたネガティブな感情を表す色として使われがちだ。彼の映画は、ハートフルで、心温まるハッピーエンド、といった物語は少ない。常に血の匂いと、拳と、死が付きまとう。そうした意味でも、ブルーとの親和性は抜群だ。観客の心は、冷めたような、ざわついたような、心証を与える。
「死ぬのが怖くないの?」
「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」
―『ソナチネ』より
まとめ
彼はコメディアンであり、風刺のプロフェッショナルだ。デビューして以来ずっと、権力、世間、を風刺してきた。それゆえ、世のエンタメ作品における、お涙頂戴やご都合主義は鼻について仕方ないのだろう。友情、恋愛、仲間、そうした美辞麗句が隠している、血、汗、傷、を露呈させずにはいられない。また実際彼は、交際していた女性を怪我させた記者へ報復するために出版社に殴り込み、流血騒ぎを起こし、逮捕された過去がある。そんな、怒りと暴力をリアルに抱え込む彼だからこそ、あのような映画が撮れるのだと思う。そして、その類稀なる風刺の能力を通して、世界を冷徹なまでに見つめるその視線が、ブルーなカラーをも醸成している。極端にフラットな世界観が映画に普遍性を与え、世界的評価にも繋がっているのかもしれない。
最新映画情報『首』
2023年11月、最新映画『首』の公開が控えている。
日本統一を果たした戦国武将、豊臣秀吉を描く映画である。そして今回彼は監督であり、また、まさにその豊臣秀吉役として主演も果たしている。これまで、学生、ヤクザ、画家、サーファー、など、現代の日常を描くことが多かった北野であるが、今回は戦国時代という、桁違いのスケールに挑もうとしている。
しかし私は宣言する。必ず映画のどこかで、彼の「暴力」が発動するであろうことを。その「暴力」は、必ずやリアルな“痛み”を伴うシーンとして、脳裏に焼き付くようなものになるに違いない。そしてはたまた「キタノブルー」も拝めるのか(2002年のDolls以降、その鳴りを潜めている)。1ファンとして、今から楽しみでならない。
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出典
・北野武 Wikipedia
・GQ Special Interview : TAKESHI KITANO
・足立区 インタビュー北野武さん
・映画『首』