歌舞伎町ロシア料理レストラン『スンガリー』~マダムジーナが「時には昔の話を」してくれる店~

Experience
加藤登紀子さん@スンガリー新宿三丁目店

新宿歌舞伎町で本格的なロシア料理を提供する、レストラン『スンガリー』。

この店は、シャンソン歌手であり、ジブリ映画『紅の豚』のマダムジーナ役でもある加藤登紀子さんがオーナーを務めていたこともあり有名である。戦時中、ハルピンのミニ・ロシア※で暮らしていた彼女の両親が、引き上げと同時に開店させ、それを代々受け継いでいるのだ。

もちろん、料理の味も絶品。日本での利用率NO.1である口コミサイト「食べログ」での評価は、驚異の3.57!(全体の上位3%)日本きっての繫華街にありながら、長きにわたり人々の心を掴み続けている。

今回は、そんなスンガリーの歴史を紐解きながら、前オーナー加藤登紀子の人物像に迫るとともに、そしてなにより、肝心の絶品ロシア料理を、たくさん紹介していこうと思う。

スンガリーの紹介

昭和40年。スンガリーが歌舞伎町のコマ劇場近くにあった頃の写真。その後、現在の新宿東口本店に移転した。左は初代・淑子ママ(加藤登紀子の母親)

1957年に開業。創業者の加藤幸四郎と妻淑子は戦時中、満州ハルビンで暮らしていた。ハルピンには19世紀後期から、帝政ロシアが繋いだ東清鉄道の影響で、大量のロシア人が移住していた。そして露清密約により経済や都市開発にまで介入が及び、ロシア風の建物、文化もが一気に流入し、そこから何十年もの間、ミニ・ロシアとして歴史的な都市としてあり続けた。

昭和初期のハルビン・中央大街(キタイスカヤ)の風景

そんな中、夫の幸四郎が満州鉄道に採用されことにより、加藤夫妻は1935年に日本から移住。ライフスタイルからファッションから、ロシアの文化に浸り続けた11年だった。そして現地で生まれた登紀子を抱え日本へ引き揚げるも、父・幸四郎はなかなか当時の料理の味が忘れられず、そこでとうとう開店させてしまったのが、スンガリーなのである。

現在のスンガリー店内。モスクワ近郊の天井の高い古い民家をイメージした、食事が美味しくなる温かい雰囲気の店内。お店のあちらこちらにロシアを感じさせる装飾、小物が置いてあり、一瞬にして異世界へ飛び込んだ気分になれる

料理紹介

・ペリメニ

シベリア風手打ち水ぎょうざを、レモンとバターソースで味付けしたもの。噛むと飛び出る肉汁と、あっさりとしたソースが何とも言えないハーモニーを醸し出す、人気の一品。

・グリヴィー・ヴ・スメタニエ

マッシュルームとホワイトアスパラガスを、小さな壷に入れてパン生地をかぶせ、スメタナクリームで煮込んだ、ロシアを代表する料理。焼きたての香ばしいパン生地と濃厚なマッシュルームクリームの組み合せが絶妙に美味しい温かい前菜。

・マリノーブナヤケタのブリヌイ包み

自家製のフレッシュサーモンのマリネをブリヌイというロシアの薄焼きパンケーキに包む前菜。当店で最も人気ある前菜で、薄く焼いた生地に厚みあるサーモンとスメタナクリームのバランスが楽しめる。お好みでスライスしたトマトやオニオン、塩漬けしたロシア風ピクルスを入れても。(イクラ添えは東口店のみ)

前オーナー加藤登紀子

スンガリー創業者の娘であり、前代オーナーの加藤登紀子といえば、ジブリ映画『紅の豚』の人気キャラクターマダム・ジーナの声を務めたことでも有名だ。妖艶でそれでて寂しく、

映画を観た子供たちにとっては、初めて出会う「大人な女性」だったかもしれない。

そんな声の主である加藤登紀子とは、一体どんな人物なのだろうか。その数奇な人生を追ってみよう。

1943年 満州ハルピン生まれ

1945年 敗戦後に母の加藤淑子の実家がある京都に引き揚げ、小中に進学。

1962~1965年 東京大学文学部西洋史学科

1965年 同大学在学中に、第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」優勝

1966年 「誰も誰も知らない」でレコード・デビュー。2枚目のシングル「赤い風船」で、「第8回日本レコード大賞」新人賞受賞。

1972年 全学連の藤本敏夫と獄中結婚

1987年 「百万本のバラ」大ヒット。

なんと波乱万丈な物語だろう。

レコード大賞で一躍スターダムにのし上がったかと思いきや、学生運動に飛び込みそこで出会ったブント派リーダーと恋に落ち妊娠。後に逮捕された彼と塀越しに結婚し、その後再び芸能界で返り咲き、ミリオンセラーのシンガーソングライターとなっている。あのマダムジーナの、酸いも甘いも嚙み分けたような声は、彼女の人生経験の賜物なのだろうか。

そして、今年で79歳になる彼女だが、現在もなお、女優業にコンサートと、精力的に活動を続けている。ここで、彼女の代表曲である【時には昔の話を】の歌詞から、その一部を抜粋したいと思う。

「見えない明日を むやみにさがして

誰もが希望をたくした

揺れていた時代の熱い風にふかれて

体中で瞬間を感じた そうだね」

1967年 新宿西口スバルビル店オープン当時の加藤登紀子 デビューしたての頃

東大在学中の芸能界デビュー、先の見えない学生運動、夫との出会い…

そんな壮絶な記憶を蘇らせながら書かれた詩なのはないか。そう思わずにはいられない。

終わりに

激動の時代の中で生まれ、中国、ロシア、そして日本という三つの国のDNAを併せ持つ、レストラン・スンガリー。今宵もまた、歌舞伎町の喧騒の中で、ひっそりと開店する。

現代社会の煩わしさ、しがらみから解き放たれたい方は、【時には昔の話を】しに、訪れてみてはいかがだろうか。

◆毎日が発見ネット

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◆スンガリーHP

Russian Restaurant Sungari

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◆プロフィール| 加藤登紀子 | 日本コロムビアオフィシャルサイト

プロフィール| 加藤登紀子 | 日本コロムビアオフィシャルサイト
加藤登紀子のプロフィールページです。

◆加藤登紀子 Wikipedia

加藤登紀子 - Wikipedia

◆スンガリーFacebook

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